庭に出て易経を読んでおりました。
今日は風がないのでもうポカポカの陽だまり。
空は青くて、雲が雄大に流れていきます。
幸せだぁ〜…と油断していたところ。。。
「こんにちは〜。」
と、ニコニコした60過ぎくらいのおじさま&おばさまが、
話しかけてきました。
私も気持ちよかったもので、上機嫌で返します。。。
「気持ちよい天気ですね、読書ですか?」
みたいな話から世間話を始めてきたので、
「この人たちはナンだろう?」
とは思っていたものの、話を続けていると。。。
「実は、今聖書の一文を…」みたいな話になってきました。
口から出たのは「終末の日」。
二人一組での宣教活動、ハルマゲドンを引き合いにだす。
エホバですね(笑)
今や世も末、連続する凶悪殺人、大不況の波。
全ては「終末の日」の…みたいな感じで続けてます。
「こんな世の中を貴方はどう思いますか??」
最後にそう聞かれてきました。
私はちょうど、易経の「山地剥」「地雷復」のところを読んでました。
これは破れたものは、また必ず返る。
日は落ちて、また昇る。終わらぬ冬はなく、また春は来る。
という意味の部分なのですが(笑)
そこで。
「何とかなるんじゃないですか?
凶悪殺人は今に始まったことでもないですし、私達の生活も、
第二次世界大戦のときとかと比べたら、随分マシでしょうし。
また良い時代が来るのをノンビリ待ってますよ。」
と、ニコニコ顔で言うと。
おじ様はちょっとピクッとして、
「それではこの冊子を読んでください。」
と、小冊子を残して立ち去っていきました。
チラッとその冊子をめくって開いたちょうどそのページには…
「クリスチャンは、迷信や目に見えない力に頼るべきでなく、
心をつくして神のみに頼め…」
易とその冊子を見比べて、ギョッとした私。
ですがすぐに、思い直す。。。
果たして聖書でいう神は、
迷信でも目に見えない力でもないのか…と。
これって、結局、何を信じるかどうか…って究極そこに行き着く。
全ては信じる人たちの、好き好きなんだって分かる。
占いなんてのも、実は「考え方」だったりする。
先ほどの、易の「山地剥・地雷復」の話もそうだし、
西洋占星術における人間の幸せの12の方向性とか、
人の意識から無意識にいたるまでの10の機能とか、
人生の勢いの波にのるための、周期を読み解く方法とか。。。
そういったものを駆使してどう生きるか…ってことだから。
聖書の「終末の日」を読んでハルマゲドンが来るから大変だ、
もっと心を清く美しく保たなければ…と考えるもの、
それでその人が幸せならば、良いわけです。
そういう意味では、占いは現世志向が強いかもしれません。
男女関係や仕事でいかにうまくいくかなどの現実問題を、
先ほどにあげたような方法論でもって活用するわけだから。
だから私は占いをスーパーパワーだなんて言いたくない。
あくまでも道具でいいじゃないですか。って思う。
考え方を使いこなすのは、他でもない自分自身なんだから。
な〜んてことを考えさせられた昼下がりの一件でした。
コメント、ありがとうございます。
易経は陰陽二元論から、八卦に分かれて、さらにそれが…64、386、、、みたいな感じなので、キリスト教的一元論とは対極の考え方ですよね。どちらも人類に必要な考えだったから、今このように存在し続けているんでしょうけど。。。
YouTube、御視聴ありがとうございます。マニアックすぎて、なかなか一般受けはしないみたいです(笑