2005年08月02日

三蔵はなぜ手相を無料でみるのか? - さすらいのポイダンサー

先日のProject Mikuraで、頂いた宿題。
「いかにしてこの怪しい(笑)ブログを書く男のイメージを和らげ、手相を見せて頂くか…」。あれ以来(昨日のことだが)、ずうっと考え続けて出た結論。それは自己開示の必要性だった。カーマスートラ(インドの愛の聖典)の解説やったり、アロマの媚薬効能を研究したり、得たいの知れないCGをアップしたり、「ポイ」なんていう聞いたことの無いような大道芸をやってたり…自分は極めて普通にやっているつもりなのだが、どうやらそれが他の人の目には普通とは映らないらしい。

そこで今回は何故「無料で手相なんか見るのか?」。その理由について書きたいと思う。
確かに、何の報酬も無しにわざわざ赤の他人のために天神(福岡市街)くんだりまでバスで出てきて、周りからは好奇の視線を浴びながら、暑い太陽の照りつける下でポイを回し続ける男。ある人はそれを狂気の沙汰だと言うし、またある人は何か裏でもあるんじゃないかと勘ぐるだろう。

しかしその理由は…ぶっちゃけ、「やりたいからやる。」ただそれだけである。手相を見るのが好きなのである。そしてこういう言い方は傲慢かもしれないのだが、私は多分、手相を通じて友達を癒したり勇気を与えてあげることができる。そしてその行為自体が私にとって、楽しくて止められない程に好きな事なんだ、ということに気づいちゃったのである。

(回想)

私は大学休学中に念願の世界旅行をやり遂げ、翌年大学卒業後すぐに某通信会社へ入社した。一見、企業での毎日(営業)はエキサイティングでとても充実していたようだったのだが、その分ストレスも多かった。特に、他社に比べてあまり自信のない商品を、ノルマのためだけにお客に売りつけることが我慢できなかった。他にも人間関係や男女関係。社会や世界情勢などなど。くだらない悩みも積もり積もれば山となる。
そんなこんなで、自分の中のある部分が死に始めている事を感じていた。そう、それは手相師三蔵としての本質の部分。自分を偽り続けた結果、三蔵は心の奥のブラックホールに閉じこめられ今にも圧死する寸前だった。

私はそんな自分を騙すためか上司のゴルフの誘いを断り、毎週欠かさずクラブで踊り明かし、酒を浴びるように呑んでいた(ダンス好きはこの時始まった事ではなかったが…)。そんなある日、突然左耳が聞こえなくなる。医者に行くと「理由は分らないが、下手するともう聴力はもとに戻らないかもしれませんよ。」と冷たい一言。薬を打ってもあまり効き目はない。その夜、私は辞表を準備した…

実はその他にもいろいろな諸事情があるのだが、そこまでは語るまい。その後いろいろと野望が燃え消えしつつも今に至る。最近では「ビッグになってやる!」とか、「世の中、成功したヤツが偉い!」といったような「こうあるべき自分」というものから随分と抜け出すことができたような気がする。世間体に縛られてやりたい事がやれない人生など、意味ないぜ。一回しか生きれない人生なのに、なんで我々はこんな簡単な事にも気づかないんだろうか?せっかく生まれてきたからには、ホントにやりたいことをやる。そうでないと、自分が可哀想だ。

好きでも無いことをやらされるなんてこの体が可哀想だ。
いつも感情を殺しながら生きるなんてこの心が可哀想だ。
自分の生まれた意味を知れないなんてこの魂が可哀想だ。


最近みなさんの手相を見ていてよく感じるのだが、転職を考えている相談の何と多いことか。今までなら年功序列の制度が生きていたため、人生の安定と引き換えに魂を売り飛ばしてもそれなりに楽しく豊かな人生をおくれたかもしれない。しかし今更強調する必要もないが、時代は変化した。どうせ安定しない人生なら、自分に正直に生きてみた方が良いと思う。転職の相談が多いのも、そんな趨勢の現れだろう。私がタダで手相をみて、ポイを回す理由が分って頂けただろうか?

「やりたいだけ!」

だから私は誰に後ろ指をさされようとも、手相を見るしポイも回すのだ!

と、一気に語ってしまった。
なんか、手相をちょっと見ただけでスゴイと言われたりして私も困っていたのだ。実はあの「三蔵」もどこにでもいるただの人。クラブで馬鹿踊りもするし、せっかく入社した立派な会社も辞めちゃった落ち武者ピエロみたいなもんなのである。これで少しは自己開示できた…だろうか?まぁ、決して怖い人ではないので気軽に手相を見せに来てやって下さい。三蔵の修行に手を貸してやって下さい。

これからもどうぞよろしくお願い致します。


愛
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2005年08月01日

警固公園への遠征 - ちょこっと冒険

(今日は福岡ローカルネタ。Project Mikuraのレポート)

昨日のProject Mikuraは結局ダラダラしてしまい、天神中央公園に16時頃まで居座った。(お越し頂いた皆様、ありがとうございました。)ポイを回す腕も疲れたところで、気分転換に警固公園まで足を伸ばしてみることにした。中央公園を出発して天神コア・三越と抜けていく間に、知ってはいたもののあまりの人の多さに眩暈にも似た感覚。3分歩いただけで別世界。時間の密度自体が変化したようだった。

途中、スタバのキャンペーンで試供品のドリンクを頂き、やがて警固公園へたどり着いた。
緑が溢れてのんびりした人が多い中央公園と違い、こちらはやはり待ち合わせや暇つぶしをしてる人々で賑わっていた。何だか場の空気が違いすぎて、いきなりポイを回し始めるのには気が引けたのだが、せっかく来たからにはボーっとしてても意味はない。スケーターとかダンサーもパフォーマンスやってる事だし、大道芸人が一人いたからってそんな不自然な感じでもないだろう。公園内を一周歩いてみて適当な場所に陣取り、黄色の手相看板立てかけて気軽な気分でポイを回し始めた。

太鼓のリズムや音楽が無かったため、イヤホンで大好きな曲を聴きながらのプレイ。人々の注目は自然と集まるようだが、特に気にはならない。ただ、人通りが多いのでポイを通行人に当てないように気をつける必要がある。あと、人が近づいて来ても手相を見て欲しいのか、ポイを見物しているだけなのかの判別に困る。これが中央公園ならそれとない雰囲気で「手相希望者」なのかどうか見分ける事ができるけど、ここは人が多すぎる。ただでさえ好奇の視線が集まっているところ、ポイプレイの途中に割って入ることは至難の技かもしれない。

さらに自分で言うのも何だが、あまり美しいとはいえない身なりだから”怪しさ度数”は限りなく100%に近い。「ちょっとこれはやり方考えなぁいかんね。」とヒシヒシ感じた。いくらリーディングに自信があったとしても「手相まともに見れますよー。」と絵に描いて貼っているわけじゃないから、まず見て欲しいと思われなければ誰も近寄ってこないだろう。内面だけ磨いてりゃその内誰か分ってくれるという妙なポリシーがあるため、外面を全く気にせずに女性に相手にされない男と同じである。私はこのProjectで自分からは絶対にアプローチしない分、クライアントの入りやすさを考えてあげないといけないなと痛感した。(誰か、良いアイデアあったらアドバイス下さい!)

まぁ、手相修行中の旅先ではこの怪しさが売りでもあったため、スタイルがすぐに変わるとは思えないが…(笑)そんな雰囲気の中、それでもその手を差し出してくれた人が約一名。もしこのサイト見てくれてたら、この場を借りてさらにお礼を言わせて下さい。ありがとうございました。

天神中央公園はそろそろ飽きてきた頃だったので、ちょこっと冒険気分で今回はいい刺激となった。次回はももち浜の「マリゾン」あたりを狙って出没しようかと計画中。夏らしく、ね。


歓喜
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2005年07月26日

気軽に占いを受けるコツ - スタンスを持ち、占い師を選ぶ!

先日書いた「占いを受ける前に絶対知っておいた方がよいこと」という記事の最後に書いた‐お気軽系占い‐にも対応というところに誤解を生む表現があったのでちょっと補足させて頂きたい。
本文中には中途半端な気分で受けるものでは無いと書きながら、お気軽系なんてのにも対応するとはなんたる矛盾!ということになるからだ。事実、三ヶ条の2番目には「お遊び感覚で鑑定を受けない」というものも挙げている。

結論からいうと「お気軽感覚の鑑定もアリ」。ただし条件が2つある。
@自分の心のコンディション
A占い師の気遣い
お気軽感覚で受けてはならない理由は、触れられたくない心の深部に触れられることで、期待せずしてあなたが傷ついてしまうところにある。ということは、@「触れられたくない部分に一線を引く、自分の心構え」とA「触れてはならない部分を敏感に察知して踏み込まない、占い師の心構え」がしっかりできていれば安全だということになる。両者にこれらの心構えがあれば、エンターテイメントとしての占いを楽しむことができるだろう。もっと言えば、A(占い師の選び方)さえしっかりできていれば全く問題無いのだが…

まずは@に関して話そう。
今現在、さしせまって心の深部を覗き込む必要性の無い、安定期に生きているような方にとっては心の深部に触れられることは大きな苦痛だ。(逆に悩みにぶつかって、自分の中に隠された問題点を見つけ出す必要がある場合は、その痛みに触れることで大きなヒントを得ることができるかもしれない…)したがって気軽に占いを受けたいのであれば、今の安定感を揺るがされてしまいそうな占い師のセリフは、さらりとながす程度にしておくのがいいかもしれない。そうでないととても気軽に占いなどは受けていられないだろう。

また、Aの問題に関しては「占い師」の選択を慎重に行えば解決する。
相手の了承も取らずに心の奥へ切り込んで来る占い師は、いくら実力があっても危険である。逆に実力があるほど危険だと判断してよい。みだりにクライアントに心の平安を乱してしまう恐れがあり、クライアントは「図星だ!」という衝撃から、必要もないのにあれこれと悩んでしまう可能性がある。

このような事情から、私は占い師として2つの顔を使い分けるようになった。
大きな悩みを持つ人に対し、「占いを受ける前に絶対知っておいた方がよいこと」で語ったような人生に深く切り込む占い師としての顔。そしてお気軽系で登場するエンターテイナーとしての占い師の顔だ。
もちろんどちらの顔の時にも、相手の反応を見ながら言葉を選びつつ慎重にリーディングをすすめていかねばならない。私は最大限気をつけているつもりだが、(よそ様を悪く言いたくはないが)ところかまわずざっくりと切り込んでくる占い師も少なからず存在するだろう。

というわけで占いを受ける時のコツは、「お気軽系」・「真剣系」どちらなのかというスタンスをしっかり持つこと。そしてもし必要とあれば、占い師に「これ以上踏み込まれたくない」という旨を伝えるべきだ。少なくとも私は聞き入れるし、それで機嫌を悪くするような占い師は怪しく危険なのでそれ以上関わらない方が良いだろう。

あなたが上手に占いを自分の人生に活かし、幸せに成功することを祈っている。


節制.jpg
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2005年07月20日

手相でソウルメイトを読む - 結婚線の見方

手相をちょっとかじった人によく聞かれるのが、「私って結婚線の数が多いんですけど、大丈夫でしょうか?」という質問だ。

結婚線とは小指の丁度下あたりに手のひらの外側から切れ込む1〜2センチくらいの線で、これは結婚の相を表している。ここでよく誤解されがちなのが、その結婚線の数に応じた結婚歴を持つという誤解だ。例えば、結婚線が3本あると結婚を三度するといったように…。結論から言うとそんな事はありえない。

実際今まで見た中にも、結婚線が3本ある人でも唯一のパートナーと幸せに暮らしているという例は多々ある。逆に1本しかないのに、二度目の結婚を迎えた人もいる。手相はあくまで可能性であり、いつも言うように自分の人生は自分で選択できるものだ。コントロールさえしっかりできていればいくら結婚線の数が多くても、多婚の必然性はそこにはない。

それでは結婚線とは一体何なのだろうか。
私はこの線の数を「本人から見える、今生で出会うソウルメイト候補者の数」と定義している。そしてその線の状態でそれぞれの関係性を占うのである。このような言い方をするとまた、「私には結婚線がありません、ということはソウルメイトに会えないということですか!」と誰かさんが興奮して口走りそうなので補足しておこう。

皆が皆、ソウルメイトと結婚できるとは限らない。場合によっては愛よりも実を取るといった結婚もありだろう。さらに言うと、私の定義に戻って欲しいのだが「本人からみえる…」という点に着目してみると、本当はすぐ側にソウルメイトが来ているのにただ自分の方が見えていないだけということもありうる。結婚願望がないのかもしれないし、また自分の根本的な結婚観や男女関係の考え方がちょっと特殊であるという可能性もある。

とにかく結婚線が現れない理由は数多くあるので、もし結婚線がない人は自分の「結婚のヴィジョン」というものに対して心のフォーカスを当ててみると良いだろう。そうすれば結婚線が現れていない理由がなんとなく分ってくるはずである。そしてもしも結婚願望が強くあるのに結婚線が無いのであれば、その願望が空回りしていないか注意しよう。

ソウルメイトと結ばれたいのではなく、だれでもいいからただ「結婚」したいと思っているのではないか。また自分の中で相手の理想像を大きくしすぎてしまっている時。このケースも本当の相手とのギャップが激しすぎるため、それは実在しない相手との結婚願望となる。その時深層心理でそんな自分に気づいている場合(「結婚」はしたいんだけど、当然、理想と違う「その人」との結婚はしたくないため)、結婚線に現れないケースがあるだろう。

といった感じで結婚線のような短い「オマケ」のような線でもこれだけのことを読み取ることができる。生命線や運命線上に出てくるサインを組み合わせることでより深いリーディングを行うことも可能だ。恋愛・結婚に関しては数多い相談内容の中でもトップを争う。私も大好きなテーマだ。気になる人はProject Mikuraにお越し頂いて勇気を持って恋愛コースを選んで欲しい!


うお
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2005年07月19日

占いを受ける前に絶対知っておいた方がよいこと

- 占い受ける人のための三ヶ条 -

1.具体的な相談内容をもっている
2.お遊び感覚で鑑定を受けない
3.占い師を盲信しない

今日は占いを受けるにあたっての心得、というと大げさになるが事前準備について書きたいと思う。占いを受けにくる人は大きくわけて四種類に分かれる。

@具体的な相談内容と的確な質問を持っている。
A漠然と不安を感じているが、問題をうまく捉えていない。
Bただ、ノリでなんとなく占って欲しい。
Cハナから冷やかし目的。

これらの人々のうち、最も多くを受け取る事のできる人は想像されたとおり@番の人々である。例えばこれをマクドナルドで例えてみよう。最初からハンバーガーを食べたくて入った人はメニューも見ずに、さっさと注文してハンバーガーを口にすることができる。しかし、Aの人などはメニューと睨めっこしながらどれにしようか迷っているのだ。なかなか決めようとしない。店員が「ご注文は?」と聞いても「う〜ん。」と悩んでいるのである。店員があれこれとメニューをすすめるうちに、自分が何を食べたいのか気づいてくるといった感じである。Bなどはそもそも食欲も無いのに店に入ってきてしまった人々の部類だ。そのため本当に満足した答えを受け取ることはあまりない。そもそもお腹がすいてないのだ。逆に食いたくもないハンバーガーを食わされて腹を痛めるかもしれない。Cは店を荒らすヤクザのようなものだろう。

要するに、占い師のもとを訪ねるときには「自分が本当に聞きたいことを整理してリストアップしておく。」くらいの準備があった方が得ですよといいたのである。せっかく自分の貴重なお金と時間を使って見てもらうのだから、受け取る準備をしっかりしておいて、納得いく答えを得なければ何の意味もないではないか。そのリストアップも「私は金運どうですか?」といったような漠然としたものでは、あまり意味がない。できるだけ具体的な相談内容の方が、概して多くを得ることができるものだ。

だからといって、AやBの人はお断りというわけではない。ただ「占い」を受ける、という行為はある意味「自分の人生を見つめる行為」につながる部分がある。そのためノリだけでそこに触れるのはある意味、危険な気がするのである。例えば、心の底では気になっているのに表面上では意識できていない(今すぐに意識したくない)大きな問題を持っている人がいたとしよう。そんな人がノリで気軽に占い師に見てもらい、その問題点を指摘されて逆ギレする、あるいは占いや心の問題に大して余計に否定的になってしまう。そんなケースも多々あるため、お遊び感覚での鑑定は避けたほうが良いような気がする。

その逆に占いが当たっているからといって、鑑定してくれた占い師を盲信してしまうのはもっと危険なことだ。占いとは数千年の歴史の積み重ねによって今ある形のものになったわけであり、これらの知識や知恵はその占い師個人が創造したものでは決してない。それなのに特定の個人に対してカリスマ性を感じたりするのは勘違いはなはだしい。あなたが尊敬するべきものは、あなたの人生、そして人類の歴史と今生きているこの世界なのだから。

私もその点には特に気をつけて鑑定に当たる。尊敬されるべきはその知恵自体であり、占い師ではない。そしてその知恵さえも絶対のものではない。人生は自由なものだから。人間はどんな運命とも戦い、勝ち抜く力を持っていると私は信じている。占いはあくまでそのための地図だ。それ以上でも以下でもない。そのように占いを捉えることができないならば、占いを利用しようとは思わないことだ。ただ先にも述べたように占いには数千年の人類の知恵が詰まった宝石箱のようなものだ。上手に使いこなすことができる者は、それなりの成功の果実を味わうことができるだろう。

少々厳しいことを言い過ぎてしまったかもしれないが、本当に真剣に占いのことを考えている方々には参考になったと思う。まあ、私の場合は「お気軽系占い」にも対応できるのでProject Mikuraには怖がらずに参加してみて下さい。(ヤバ、この記事読んで参加者激減する
かも…)


教皇.jpg
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2005年07月13日

掌の中の宇宙 - 手相とエレメント

古代バビロニアをその発祥と言われている占星術では、12の星座を火・地・風・水の4つのグループにわけている。この4つの属性は専門用語で「エレメント」と呼ばれる。(参照→「ART12星座」)

それぞれのエレメントごとに共通した性質があるとされており、よくユングの提唱したタイプ論に当てはめて考えられることが多い。「火」は直観機能が強調された性格。「地」は感覚機能。「風」は思考機能。「水」は感情機能に重きをおくタイプといったもの。例えばある人のホロスコープ上で「水」のグループ(蟹・蠍・魚)のサインの力が強ければ、その人は感情を最も重視して生きているというようにみる。

他のエレメントに属する他の惑星との角度によっては、必ずしも当てはまらない場合もあるようだが、この方法で性格分類するとかなり的を得た結果となるようだ。二つのグループに同数の惑星が入ってしまったという人は、巨大な影響力を持つ太陽や月をその他の惑星よりも多少重みを持たせて計算してみるといい。

★★★あなたのメインエレメント★★★
@まずホロスコープの10個の惑星配列を調べる(→無料)
A10個の惑星の星座が対応するエレメントを調べる(→12星座)
B最も惑星数の多いエレメントをメインとする

メインエレメントが…
火:直観を大切にする。炎のように情熱的。
地:感覚を重視する。大地のようにしっかりもの。
風:思考を大切にする。風のようにさわやか。
水:感情を重視する。水のように感受性豊か。

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

エレメントに関する説明は数多くのサイトや書籍で扱われているのでこれ以上詳しい説明は省く。

さて、長い前置きではあったが本題はここからである。
私はこの四つのエレメントが手相の主要四線(生命線・知能線・感情線・運命線とも関係しているように思えてならない。具体的にいうと、肉体を現す生命線は「地」。頭脳を表す知能線は「風」。渦巻く情感を表す感情線は「水」。そして燃える意志力、運命の情熱を表す運命線を「火」に対応していると思うのである。

もともと手相は水星丘や太陽丘のように、丘の名称にも惑星の名前がつけられているところからも占星術と非常に関連性が強い占いである。手相の書籍の中には火の手・水の手といった風に、手の形で分類しているものもあるようだが、具体的に各線を火・地・風・水のエレメントに分類している記述は見られない。

手相や占星術に詳しい人は比較的簡単にこの主要四線を「火・地・風・水」に対応づけるアイデアを思いつくはずである。それが何故、今まで出てこなかったのか。対応づけたところでなんの得にもならなかったというのが主な原因であると考えられるが、占星術と手相術を組み合わせて利用する場合には結構使えるのである。

例えば、ホロスコープで調べたメインエレメントに直観の「火」の力が強くでていたとしよう。しかし、本人の手相を見てみるとどうも運命線の勢いが弱くパッとしない。そんな場合には何か他の事が原因で、もって生まれた炎のような情熱が凍らされている可能性がある。
これを手がかりとして話をよく聞いてみると、本人も意識できていなかったような重要な事がわかるかもしれないのである。以前も触れたように、ホロスコープの結果は変わらないが手相は努力次第でどんどん変化する。ということはこの二つの結果のギャップを元にアドバイスをすることが可能なのである。

ただ、注意してほしいことは、手相の四大線とエレメントの関係は合同ではないということだ。感情線の中にも直観的な要素が含まれることもあるだろうし、運命線にも感情的な要素が影響線として現れないこともないだろう。あまりにこだわり過ぎてはならない。つまり「線のベースがそれぞれのエレメントにある」というくらいの気持ちで活用して頂きたいのである。


運命の輪.jpg
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2005年07月11日

リフレクソロジー - 運命の手相・健康の足相

手相は研究すればするほど、その魅力に取り付かれていく。なぜ手のひらなんかにその運命が刻まれるんだろうか。そんな事をずっと考えているうちに、ふと頭に閃くものがあった。「手に刻まれる相なら、足にだって刻まれるはずだ!」

かつては人間も四足歩行をしていた獣の一種にすぎなかった。その時我々の両手は両足とともに、地面を這うために使われていたのである。二足歩行を始めてから、ヒトは手で道具を使うようになっただけで、もともとの起源は手も足も似たようなものなんだ。それでは足相の研究をすすめることで何か新たな発見ができるのではないか!

だがしかし、今まで足相の本なんか見たこともない。そこで試しにネットで検索かけてみたら何と65万件もヒットがあったがその殆どは中国の「…足相…」といった感じの、全く違う文脈の中で使われているだけのものだった。日本語サイトでわずかにひっかかったサイトにも体系だった情報などはなく、とても参考になるようなものではない。

そこでまた思いを巡らせた。足の裏に関する情報で体系だてられたものといえば…。ここで行き着いたのが表題の「リフレクソロジー」なのである。思い立った日が吉日というわけで、早速リフレクソロジー関係の書籍を購入してみた。するとそこには足裏に関する膨大な「知の体系」があったのである。リフレクソロジーでは手相のように運命を扱うことはなく、体の健康に主眼を置いている。残念なことにこれは現在日本では医療行為として認められておらず、俗に言う「足ツボ」とも違うらしいのだが…。ただ、反射区(足裏の各部分が体の各部位と対応しているという考え方)」という概念は、手相の「丘」の概念と非常に共通したものを感じる。これには特に興味をそそられた。

体と心はお互い密接に関連しているという観念から考えると、この反射区はそのまま心の各部位(機能)にも対応しているかもしれないではないか。ここからは私の想像なのだが、ヒトは四足歩行から二足歩行へと進化を進めた。そしてその手で文字を書くようになった、また多くの道具を使いこなすようになり、その精神レベルをどんどんと高めてきた。しかしながら、足はかつて大地を這っていた時から今も変わらず、地面にしっかりと立つために重要な役割を果たしている。
そんな「手」と「足」それぞれの役割の違いから想像できるのが、手は精神とそして足は肉体と深いつながりをもっているのだろうということだ。もしかしたらもともと、手相には現在人間の掌に刻まれているような形(運命を表すという形)では手相は存在していなかったかもしれない。その証拠にうちのワンちゃんの手相・足相を見てもあまり違いが見られないというか、その肉球は手も足も同じようなものだ。高い精神を身につけた人間だからこそ、その繊細な作業を行うこの手の平にその心が刻まれるようになったのかもしれない。

手の平にも確かに「健康線」というものが現れるのだが、この健康線はあまり研究が進んではいないようでリフレクソロジーなどの足相学(笑)の知識体系には到底及ばない。別に足相学とリフレクソロジーをごっちゃにするつもりはないが、私は足相学の研究の一貫としてリフレクソロジーの勉強に取り組むことにしたのである。私の大好きなアロマテラピーはリフレクソロジーと非常に相性が良いともいう。

運命の手相、健康の足相という形での使い分けができたら面白いなぁ。


おとめ
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2005年07月06日

手相上の丘 - 早見表


丘

A : 金星丘
B : 木星丘
C : 土星丘
D : 太陽丘
E : 水星丘
F : 第一火星丘
G : 火星平原
H : 第二火星丘
I : 月丘


※Gは手のひらの中央部にあり、周囲の丘に比べて相対的に低くなっているため、「平原」の呼称が与えられているようだ。それぞれの丘の意味は次回以降でご説明する予定。お楽しみに…


posted by Mikura at 15:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 福岡で手相鑑定 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月05日

手相で金運を見よう! - 財運線と太陽線

手相で簡単に金運を見るには、ふたつの方法がある。
手相の解説本などでは富の獲得を表す線として、小指の下に出る「財運線」と薬指の下に向かう「太陽線」の二つが紹介されていることが多いようである。どちらも金運を表す相で、初心者にはどっちがどっちか区別しにくいかもしれない。また同じ金運を表すにしても、その意味がどのように区別されているのかを読み解く事ができない。

それではその財運線と太陽線、それぞれによってもたらされる富の違いとは何か?
それを知るには手相の原則に触れてみる必要があるようだ。以前説明したように、手の平に9個ある「丘」が豊かに盛り上がっていれば、その丘が表している意味を強調することとなる。これらの9の丘の起伏は人それぞれ個性的で、一生を通して変わる事はない。丘はそれぞれ独自の意味を持っており、今回のお題「財運線と太陽線のもたらす富の違い」はそれぞれが出現する「丘」の意味の違いに由来している。

それではまず財運線から説明していこう。
小指の根元の部分は水星丘と呼ばれ、通信・伝達・ビジネス・コミュニケーション等の意味を持った丘。ここが豊かに盛り上がっている人は、これらの才能を多分に秘めている。そしてこの丘に縦線があればそれは財運線と呼ばれ、「ビジネス等水星丘が表す分野で成功する力がある」という意味だ。前回記述した田んぼと稲の例でいけば、水星丘という田んぼの貧富(起伏)はビジネスなど水星が表す分野の土地の肥え具合(潜在能力)を示し、水星丘上に現れる財運線はその田に実る稲(水星丘が表す分野の実力発揮度)を示しているのだ。

太陽線は薬指の根元、太陽丘に現れる縦線である。太陽丘は芸術・栄光・名声・自己表現といった意味を持っており、水星丘と同じようにここが豊かに盛り上がっていれば、これらの意味を生まれながらにして持ったラッキーな人だといえる。そしてここにはっきりした縦線があれば、これを太陽線と呼び、これら太陽が示す分野での実力発揮度が高いということになる。

ここまで読んで気づいて頂けただろうか。
前者の財運線はビジネスのマネージメント能力が高い(あるいはビジネスに必要不可欠なコミュニケーション能力が優れている)人に現れる。要するに財運線を持っている人は、ビジネスを通して金運に触れることができるのである。ビジネスの根本を成すコミュニケーションをマスターしていれば、お金の回りが良くなるというのは想像がつくだろう。一見話し言葉を必要としないようなインターネットビジネスも水星丘が司る「通信」の範囲である。そういう意味ではネットワーク化する現代において、この水星丘の存在は今後ますます大きくなってくることだろう。

逆に後者の太陽線は、自分の持って生まれ持った資質のキラメキを100%外部に表現し尽くす事のできる人に現れる相。自分が最も得意で表現したくて仕方がないものを、太陽のように明るく周囲にアピールできるのだから人気がでないはずがない。そんな自己表現はみんなを幸せにするし、自己表現を通して得た栄光や名声は富を引きつける。たとえビジネススキルがなくとも、良きマネージャーを得てお金持ちになったりできるのだから強い。自分の才能を通して金運に触れるタイプがこの人。

このように同じ金運とはいっても、財運線・太陽線の意味するところの違いに愕然とされたことだろう。私は金運についてさらに研究している。Project Mikura等でお会いできれば個人的なアドバイスを含めてもっとお話したい。

最後に財運線も太陽線もない方。これらの線はあるに越したことはないが、無くても金運を得ることは十分可能だということをお断りしておきたい。生命線が強い人はその強力なスタミナで金運を勝ち取ることができるだろうし、知能線が良い相ならば頭を使ってお金を得れる。感情線が素晴らしい人はその情緒でもって、人脈を金脈に変える事ができるかもしれない。いつも言っている事だが、要は自分の特質をどのように使うかで金運も恋愛運も変化するのである。逆に太陽線・財運線があっても、怠慢で自分の才能を上手に伸ばす努力をしなければ、金運はいつまでたっても身につかないだろう。


しし
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2005年06月27日

三蔵の占い - 占いのいろいろ

占いは大きく分けて3つのジャンルに大別される。
一つ目は「命」のグループ。ここには占星術や四柱推命などのように、自分の誕生年月日からその人に与えられた運命を計算して割り出す類のものだ。二つ目は「朴」のグループ。これは易やタロットのような偶発的な現象によって占う方法。そして三つ目が手相や人相に代表される「相」のグループ。これは実際に表に出ている現象に基づいて運命を知ろうとする。

私は「命」に関しては占星術を、「易」に関してはタロットを、そして「相」に関しては手相を使っている。例えばその人がもって生まれた特性を詳しく知りたい時のようなケースでは占星術を利用する。占星術で出る結果というのは生年月日から出されるため、一つしかない。生まれてから死ぬまで一生背負っていく固定的な運命をこれで占うのである。

私が占星術を信じるきっかけとなったのは、世界旅行だった。行けども行けども大草原とタイガ(シベリアの針葉樹林)の続くシベリア鉄道に乗っていた時。ジープでサハラ砂漠を走り回った時。船で3日間かけて中国に渡ったとき。ユーラシア大陸を一周した私には地球の広大さが心の底まで染み付いてしまった。それに比べてこんなにちっぽけな自分という存在。人間など巨大な地球上に乗っかった塵のようなものだ。そんな人間を乗せた地球はさらに大きな太陽、木星、土星、そして海の干潮を引き起こす月などとともに、この宇宙空間を漂っている。

そんなイメージをはっきりと頭に思い浮かべることができたとき、これらの巨大な物質が消しくずほどの我々の脳構造、あるいは目に見えない気の場になんの影響も与えないということがありうるだろうか。私達はそれを科学的に完全に証明することができないが、これだけ長く続いた占星術の歴史と膨大な経験に基づいたその知識がその実用性を証明しているのではないか。そう思ったとき、私は占星術を信頼して利用することができるようになったのである。

話を元に戻そう。
それでは現在進行形の運命に基づいて占いたい時にはどうすればよいのか。いくら生年月日によってその人物の運命が分るといっても(占星術にはトランジットという現在の状況を占う方法もあるが)、それはあまりに固定化されすぎたものだ。もって生まれた運勢をうまく利用して人生を謳歌している人がいる一方、生まれ持ったよい運命を活かしきれずに裏目にでている人もいる。このように生年月日で割り出されたその人の本質的な方向性だけでは、万物流転のこの世界に生きる私達の現在を完全に占うことなどできるはずがない。そこで手相のように今の「自分」を反映させた「相」術が役にたってくるのである。

前述したように、手相は自分の選択しだいでどんどんと変化してゆく。左手には先天的な(もって生まれた運命)事柄、そして右手には後天的(自分で作り上げてきた人生)な事柄がそれぞれ現れるというのだが、その左手の相すらもどんどんと変わっていく。つまり「手相」は非常に柔軟に自己の運命を捉え表しているのである。ただ手相は自分の潜在意識と関わりが強いため、あくまで自分の捉えかたに基づいて結果が出てくる。例えば、大金持ちでも今の自分に満足できていなければ良い相とはならないし、逆にその日暮らしの人々でも自分の人生に大満足していれば、その相は勢いのあるものとなるだろう。

またあまりに具体的な事柄を占う時には、「命」も「相」も漠然として抽象なために参考にしづらい場合もある。そんな時に登場するのがタロットのような朴術だ。これら朴には数多くのシンボルが用意されており、それぞれに運命を表す重要なメッセージが与えられている。占う対象を心に思い浮かべながら、目の前に出てきたシンボルを通じてその答えを探り出す。この仕組みについてはオカルトアレルギーの方からは反論があるだろうと十分に予測できる。なにしろ、私もかつてはそのシステムをどうしても納得できなかったからだ。

「相」のように表面にでてくるもの、また「命」のように生年月日という確かなものから出されるものでもない。従って、私はこれを信じるまでにかなりの時間と研究を要した。しかしユング心理学のシンクロニシティという概念に触れてからというもの、その可能性に目を開いたのである。例えていうなら、電車を一本乗り遅れたお陰で列車事故を避けることができた。とある研究をすすめていたところ、地理的に全く離れた場所で同じ研究を行っている人がいた等。偶然としては出来すぎた話の数々である。シンクロニシティについてはしっかり説明しないと誤解を受けるのでまた別の機会に譲ることにしよう。

またもうひとつの考え方としては、これらのシンボルには人間の心理のほとんど全てが組み込まれている。そのためどんな結果がでたとしても、深層心理が答えに結びつけるようにできているのかもしれない。つまり答えはタロットにあるのではなく、その人自身の中にあるということだ。実際タロットの研究を進めていくと、その世界観の広がりに圧倒されてしまう。そういう意味で私は「朴」に関しては他にもいろいろと興味を持って取り組んでる。今度紹介しようと思うが、「ルーン」もそんな大きな世界観を示してくれる朴のひとつだ。

といった感じで占いにはいろいろあるということだ。私はもともと手相が専門であることに加え、道具も特にいらず一番手軽なことから手相をメインでやっているのである。


やぎ
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2005年06月22日

手相は変わる! - みんなが手相デザイナー

「手相が変わるってホントですか?」

これもよくある問いだ。この質問に関しては「変わる」と断言できる。私自身で自分の手相が変化するのを観察しているし、身近な人でよく手相を見てあげる人の相もあきらかによく変わっている。手相家の間ではほとんど常識に近いのだが、あまり手相になじみの無い方にとっては重要な問題なのだろう。もし悪い手相が出ておりその運命を変えることができないのなら、鑑定してもらうこと自体ナンセンスになってしまうからだ。

しかし赤ん坊がいつ、どこに(国・文化・家庭)生まれてくるかを決定できないように、どうしても変えられない部分というのがある。それが手のひらの起伏、「丘」と呼ばれている部分だ。この「丘」は手相を読み解く際に「線」と同じくらい重視されるもの。手を広げてみるとなだらかではあるけれど、でこぼこしているのがわかるだろう。山になっている部分を丘と呼び、多数派の説によれば、手のひらには9つの丘があるとされている。またこれらの丘のオウトツは生まれた時から死ぬまで変わることはないと言われている。変化するのはその上を走る線である。

ちょうど稲作で例えるなら、「丘」は田にあてはめて考えることができる。そしてその上に実るのが稲である「線」だ。「あなた」という田んぼに生まれ育った以上、今生においてはその田を取り替える事ができないようになっている。「あなた」という田んぼは、ある部分で肥えておりある部分で痩せている。だが、その上に実る稲に関してはどのように工夫して育ててもいいという自由を持っているのだ。いくら田んぼが肥えていたとしても、手入れもせずに放置しておけばそこに立派な稲が実ることはない。逆に、いくら痩せた田んぼでもしっかりと草抜きをして、水をやり害虫を駆除し、愛情を持って育てることで収穫高はいくらでもあげることができる。さらには二毛作、ビニールハウス、改良種などの離れ業を駆使して、人の数倍もの収穫を上げる人もでてくるだろう。

ちょっと遠回りしてしまったが、イメージして頂けただろうか。
もうお分かりのように、この例で言うところの田んぼ(=丘)はあなたの運命を、そして上に実る稲(=線)はあなたの生き様を現している。変える事のできない自分の素質を、どのように人生に活かし発展させている、または阻害しているのか。それを現時点の「線」の良否で知ることができるのである。良い線がぐんぐんと伸びてくれば、それは稲がうまく育っているということで自信をもって突き進めばよい。悪い線が運気を遮っているのであれば、自分の人生に対する姿勢を見直す必要があるだろう。

このようにあなたの生き様は手相と密接に連動し、日々の変化の中で少しずつ変わっていく。とあるジンクスでは「三ヶ月おきに手相は変わる!」というのがあるが、厳密に言えば毎日変わっているのである。ただ私達にはその小さな変化が目に見えないだけだ。日々のストレスや不摂生がジリジリと心と体の健康を蝕んでゆくように。日々の積み重ねが大いなる目標の達成に繋がるように。

私が鑑定する際最も伝えたいことは、もし現時点で悪い相が出ていたとしても、自分次第で絶対に運命を変えることができるということ。私達には自由な創造力と心と頭と体が与えられているのだから。偉大な事を成し遂げた人も、どうしようもない絶望を乗り越えた人も同じ人間。運命にも、まして他人になんて自分の人生は決めさせてはならない。

さあ、今日からあなたがあなたの手相をデザインしよう!


おひつじ
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2005年06月21日

手相のススメ - あなただけの人生マップ

「何故、手相で運命がわかるのですか?」

多くの人々の相を見てきた中でよく出てくる質問である。
私はそんな質問には「何故、手相をもっと人生に活用しないのですか。どうして心の問題から目を背けようとするのですか?」と逆に問うてみたい気になる。
科学第一主義の現代において、俗にいう「占い」という言葉には怪しげな響きがつきまとい、どうしてもうさんくさいものとして囚われがちなので、そう思われても仕方ないとは思う。(事実占いを切り口とした新興宗教の勧誘も存在するようだ。)しかしながら、自分の力ではどうしようもない試練が目の前に現れた時などには、ついフラフラと街頭の手相家などに相談したくなってしまうのが人情だ。

人生ではいろいろな問題が起こる。そしてそのほとんどは自分の表面的な努力だけで解決できるものではない。他者との関係無しで発生する悩みなど皆無に等しく、問題のほとんどは自分以外の誰かとの関係の中で起こる。また自己意識とは別のもの、すなわち自らの潜在意識にひそんでいる、日常では全く意識できないものが原因で起きる問題が多数を占める。心の問題を無視してなんとかなるほど、世の中は合理的にはできていないのだろう。

ちっぽけな自己意識だけではどうしようもない困難に立ち向かう時、私達は道標を必要とする。ちょうど見知らぬ街中で迷った時に地図が必要なように。そんな心の地図が手相なのである。しかもこの地図は本屋で売っているような既製品などではなく、ひとりひとりにカスタマイズされた極めて個性的な人生マップだということが重要だ。

「手に刻まれたただのしわにたいした意味はない。」と一蹴することは簡単である。しかしそう断言する人は実際手相を勉強したことがあるのだろうか。手相をかじった事のある人なら誰でも知っていると思うが手相は正直言って、当たる。私が手相を始めた頃、あまりの的中率に自分は超能力でも持っているのではないかと奢ったこともあった。しかし経験を重ねるうちに、手相は知識と経験でだれでも見ることのできる技術にすぎないということが分ってきた。もちろん線の意味するものが如何に問題と関わりを持っているかを読み解き、アドバイスする能力は必要だ。しかし自分の手相を見るときは、すでに自分の問題が何かということにうすうす感づいていることが多いので、その問題を解決する手がかりを見つけるのはあまり難しくない。根拠もなくこれらの神秘を否定する人は、もしかしたら自分の心を覗きみることが怖いのかもしれない。

戦後、日本人は一貫していわゆる宗教というものから離れてきた。日常の中に「心」を扱う要素がなくなってしまったせいで、人々は心の問題を両極端に捉えるようになった。一方の極が物質中心の唯物主義であり、その対極が「オウム真理教」などに代表される悪徳カルトだ。唯物主義は心も金で買えるというような考え。そして悪徳カルトは他人の心を操作して暴利を貪る、あるいは反社会的行為を行うというもの。両者共に極めて傲慢な許しがたい行為である。ただここで忘れて欲しくないのが、唯物主義も悪徳カルトも人々が「心」を忘れてしまったために生まれた、そんな時代の落とし子なのだということである。

きちんとした正しい「心」を育てる環境が社会システムの中に機能しているなら、唯物主義には生まれにくいし、悪徳カルトに走る者も減るだろう。バランスのとれた心を持つ者は常に常識的な判断力を持ち、正しい道を選択していくことができると私は信じている。別に私は宗教を勧めているわけではないし、自分自身、ある特定の宗教に属しているわけでもない。

私もあなたも心を持っているという事実。そして現代科学では決して知ることのできない未知の領域は存在しているという事実。これらをふまえた上で、精神的な勉強も必要なのではないかと思うのだ。手相がどうしてもいやなら、ヨガや禅をやってみたり、教会やお寺で牧師や和尚の話を聞くといったことでもいい。心の世界があるということを感じ、認めるのが先決だろう。

そして次の段階で、もし自分に与えられた独自の人生マップに興味を持つことがあれば、手相を勉強してみて欲しい。きっと自分についての素晴らしい発見があるに違いない。手相は自分のクセを知り、そんな自分を世の中でどう活用させていくかを知る極めて有効な武器だ。幸せの青い鳥への道筋はすぐそばに、そう、その掌の中で君に発見されるのを待っているのだ。

隠者.jpg
posted by Mikura at 13:37| Comment(0) | TrackBack(1) | 福岡で手相鑑定 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年06月20日

第一回Project Mikuraリポート

昨日、2005年度第一回Project Mikuraを開催した。
場所は福岡・天神中央公園。

六月だが今年は空梅雨なのか素晴らしい天気。雨天を気にしていたが全くの杞憂だったようだ。午前中はカラーコーディネーター三級を受けに商工会議所へ。前ブログでたくさんの方にアドバイス頂いたように、東京商工会議所が発行している公式問題集をすみずみまでやっていたおかげで楽勝だった。30分経過すると同時に筆をおいて会場を出る。ほぼ合格は間違いないと思う。

そして昼食を終えていざ天神中央公園へ。さすが日曜の午後、そしていい天気も手伝って多くの人々がのんびりとくつろいでいる。アクロス福岡を見上げるとさまざまな植物が生い茂り、眼球がユルユルとくつろいでいくのがわかる。これが警固公園だったら、HIPHOPバスケットボールダンスの音楽がジャンジャン響き、多くの待ち合わせカップルやナンパ師たちが入り乱れ、こんな平和なムードはないだろう(ローカルネタですんません)。やはり自然も多い中央公園の方がいいな。

適当な木陰を見つけてしばし瞑想(といってもただ木にもたれかかって目をつぶっているだけだが)。日常の様々な思考や雑念、問題や疲れがすぅーっと大地に吸い込まれていくようだ。特に先週はカラーの勉強に追われていたために、想像以上に頭が疲れていたというのを実感した。しばらく涼しげな正午の風に吹かれていると、ポイダンサーのL君が仲間とともに現れた。一人でボーっとお客さんを待つのは寂しいので一緒に参加させてもらうことにした。
(L君はポイの教室をやっており、そのスキルは抜群。かなり教えるのも上手で生徒さんたちはみるみる上達していく。もしポイを本格的に習いたい人がいれば紹介しますよ。)

はじめにストレッチをして深呼吸。先ほど感じていた疲れが体を動かす衝動に変わっていく。しっかりと筋肉を伸ばしたところでさっそくポイを回し始めた。L君のジャンベのリズムに合わせてクルクルやっていると、白昼堂々と人前でプレイすることなんか全く気にならなくなる。(というよりみんなおのおの好き勝手なことをやっているから)。

ポイに熱中しすぎていた上、なんと肝心の手相の看板を忘れてきちゃったのもあって、結局鑑定したのはたったの一人。暇だったから鑑定時間も三十分間に伸ばしてじっくりと相談にのることができた。

今年はこんな感じでスローにやっていきたいと思う。福岡に住んでいる方は散歩がてらや買い物ついでに公園に足を伸ばしてはどうだろう、ポイを回す三蔵を見かけたら気軽にお声をかけて下さい。

太陽.jpg
posted by Mikura at 10:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 福岡で手相鑑定 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年06月06日

三蔵の無料手相鑑定サービス in 福岡

現在、無料鑑定はイベント等でのみやっております。

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そろそろ暖かくなってきたので毎年恒例!
ナント!千人以上の鑑定経験を持つ「三蔵」がボランティア(無料)で手相を鑑定します。お一人様1テーマ10分(恋愛・全体運から選択可)。一日二十人限定です。場所・時間は毎回変わりますのでHPをチェックしていて下さい。(場所はだいたい福岡市内天神中央公園・警固公園、各種イベント開催地等)今年は月に2回くらいのペースでやろうと思ってマス。


(真・織花夢読者限定サービス)

携帯で「真・織花夢」にアクセスし、三蔵のCG(なんでも可)をダウンロードして来て下さい。鑑定の際に三蔵に見せて頂ければ、上記サービスを2テーマ20分(恋愛・全体運・金運・健康・仕事・学業より選択)にグレードアップ!もちろん無料です。


次回Project Mikura開催

場所:未定
日時:未定
目印:黄色の「手相」看板有
   ポイを回しているかもしれませんが、気軽にお声をかけて下さい。
雨天中止



祝福
posted by Mikura at 13:46| Comment(2) | TrackBack(0) | 福岡で手相鑑定 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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